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008.「のむらこいち」と「原宿」

東京・原宿

1978年(昭和53年)、ファッションビル、「ラフォーレ原宿」が開業。

原宿はファッション・アパレルの中心として全国に認知。

マンションにはデザイン事務所やデザイナーやカメラマンなどのクリエーター達が事務所を構え、文化を牽引した。

今でも多大な原宿ファッションに影響のMILKもこの当時からスタート。

1980年代に入ると女性アイドル歌手が芸能誌などで着用する衣装としても需要が高まる。

1980年代になると竹の子族の影響により、竹下通りが発展。

80年代後半はタレントショップが増える。

1977年(昭和52年)から始まった歩行者天国(ホコ天)にはたくさんの若者が集まり、ロックンローラー族やホコ天バンドブームが起き最盛期には日に10万人が集まった。

しかし、1998年(平成10年)8月31日をもって、原宿の歩行者天国は廃止された。

1990年代は表参道に海外有名ファッションブランドの旗艦店が続々とオープン。

その傍ら、住宅地には新たなファッショントレンドの店が並び、「裏原宿(ウラハラ)」と呼ばれる一角が形成された。

2006年(平成18年)には表参道ヒルズがオープン。

2010年以降ではファッションだけでなくポップコーン、パンケーキといった海外からの食品ブームの国内の主要発信地としての役割も増してきている。

2020年来訪者の増加、東京オリンピックに向けて街は大きく移り変わりつつる。

原宿・歴史 ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典引用

のむらこいちの原宿とは。

h.NAOTO :「今回GOSマガの創刊第一号のロケ地は原宿にしたのですが、僕たちにとっては久しぶりの原宿ロケで、なおかつ若手の日本の女子をモデルとして撮影に臨んだのはとても新鮮でした。そんな原宿ってどうすか?最近人が多過ぎて歩くのもヤットな状況何だけど。ファッションの発信地として不動の原宿ってどんなイメージかな。」

のむら :「土日、原宿の街全体が人気ラーメン店かよ!!ってなりますね。」

h.NAOTO :「そうそう。20年位原宿を見てきたけどこの5年急激な人の多さやね。」

のむら :「おしゃれ爆心地ですからね。平日以外絶対行きたく無いです。笑」

h.NAOTO :「以外に平日も多いよ。海外の観光客もいっぱいだしね。」

のむら :「めまぐるしく変わるここ特有の文化のようなもの。オンリーワンばかりです。原宿のコンビニでも、おにぎりはあたためてもらえるのかなとさながら子鹿のように震えたこともあります。。」

h.NAOTO :「笑笑」

のむら :「今では原宿の美容院にまでいける成長ぶりです。頭部がおしゃれ爆心地。魅力のつまった素敵な地です。」

h.NAOTO :「原宿という世界の中でも特異な場所ですね。本当に他の国でも類を見ない個性的な場所ですね。のむらこいちも原宿みたいなもんだけど。」

model:のむらこいち

Profile
イラストレーター、デザイナー、メイクアップアーティスト、モデルなど多岐にわたり活動中。

【HP】 https://nomuland.theshop.jp

Fashion Design&Editor:Naoto Hirooka(h.NAOTO)
Photographer:Mai Kushida(@kushida.official)
Graphic Design:GASHICON

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